月額10,000円でホームページが作れます

スタンダードプランでは3ページ構成になります。
ページ構成はトップページ、サービス紹介、会社概要、お問い合わせ等の中からお選びいただけます。
お知らせ一覧、お知らせ詳細記事はページ構成には含まれず、無料で実装することが可能です。
ただし、ブログ投稿機能を2枠以上実装する場合は別途費用となりますので、ご注意ください。

はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚る遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。

私が先生と知り合いになったのは鎌倉である。ある初夏の事であった。暑い日であった。私は海水浴場から上がって、真白な砂の上に仰向けに寝転がっていた。すると、そこへ先生が通りかかった。先生は鎌倉にある西洋料理店の方へ帰る道であった。ついでにちょっと暑さを避けるという風で、椰子の木の陰に立って、煙草を吹かしていた。それが全く偶然であった。

しかし、その時の私は、先生が立っている所を、ただ一目見ただけで、すぐに強い好意を感じたのである。私はつい先刻、そこに腰を下ろして、休んでいたばかりであったが、別に苦しいとは思わなかった。けれども何となく、もう少しそこにいたいような気がしてならなかった。私はふと立ち上がって、海の方へ歩き出した。すると、先生は私に向かって微笑しながら、「どうです、涼しくなりましたか」といった。その声は優しく、そして心持ち静かであった。私は、先生の前に立って、にこにこしているばかりであった。何か答えなければならないと思いながら、口をきくのがはばかられたのである。それでも私は、しばらくすると自然に「ええ」と答えた。すると、先生はもう一度私に微笑しながら、「まだ暑いですね」といった。

私はこれから先、先生と知り合いになるまでのいきさつを、逐一書き記すだけの余裕を持たない。ただ一つだけ覚えているのは、私が先生と立ち話をしているうちに、突然、「どちらへいらっしゃいますか」と聞かれた事である。私が何の気もなしに、「散歩に出たのです」と答えた時の事である。すると、先生は急に真面目な顔になって、「よろしかったら、私の家へおいでなさい」といわれた。私は急に困ってしまった。先生の言葉に対して、どう答えたらよいか分からなかったからである。私はただ一人で、砂の上に立ち尽していた。

夏目漱石「こころ」より抜粋

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次